上伊田西の獅子楽

福岡県田川市
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筑豊の獅子舞

 福岡県下には120を超える獅子舞が現存しています。そのうち筑豊地区は、90を超えています。田川地区は22地区(うち田川市は6地区)で現存しています。まさに筑豊は獅子の里として一年を通してどこかで獅子舞が行われています。

 なぜ筑豊地区が獅子舞の盛んな土地になったのでしょうか。獅子舞または獅子祈祷は鎌倉時代から行われていたようですが、筑豊各地で盛んになったのは享保年間からです。飯塚市(旧筑穂町)大分八幡宮の氏子たちが、京都の石清水八幡宮につたわる獅子舞を習得し放生会に奉納しました。このころ飢饉や災害が続いていたため、厄払いの獅子舞が大分八幡宮や飯塚市(旧庄内町)の綱分八幡宮で行われていたことや地名に田・穂・稲などの字が多く使われているように、このあたり一帯は農村地帯として栄えていたことなどから、「五穀豊穣や無病息災」を願って庶民の間に急速に広がっていったと考えられます。

 また、筑豊の獅子舞は、多くが大分八幡宮から伝わったとされていますが、旧稲築町(現嘉麻市)、旧庄内町(現飯塚市)、旧金田町(現福智町)、田川市においては綱分八幡宮を経由して伝わったところが多く見受けられます。 


上伊田西区の獅子楽が影響を受けた獅子舞

 「上伊田西区の獅子楽」の現在の芸態は金田稲荷神社の獅子楽から伝承されたといわれています。さらに伝承経路をたどると上伊田西地区→金田→綱分(つなわき)→大分(だいぶ)となります。
 それぞれの芸態を比較すると、影響を受けながらもアレンジが加えられ、それぞれ特徴を持ったものへと変化しています。

 「大分の獅子舞」「綱分八幡宮の獅子舞」「金田稲荷神社の獅子楽」を紹介します。





大分(だいぶ)の獅子舞
(福岡県飯塚市)

 大分八幡宮に奉納される獅子舞は、現在、筑豊地区で舞われている多くの獅子舞の源流とされています。
 戦国時代の騒乱で絶えていた祭礼を、享保年間に再興するにあたって、庄屋であった伊佐善左衛門直信が京都の石清水八幡宮に伝わる獅子舞を村人に習得させ享保9年に放生会に奉納したのが始まりで、優雅な舞いを今に伝えています。また、獅子舞を通して昔から伝わる厳格なしきたりが今も守られています。
 福岡県指定無形民俗文化財に指定されています。
     
獅子舞 雄獅子 赤い獅子頭・赤い胴幕 獅子頭は享保年間から使われているものを使っているそうです。
雌獅子 黒い獅子頭・青い胴幕
舞いの
種類
はなのきり(序) 雌雄の獅子が同じ動作をする
中のきり(破) 雄獅子、雌獅子が思い思いにまわす
きり(急) 楽がはやくなり雄獅子、雌獅子が相寄り、相離れ、たわむれ舞い狂う
自作の7穴の篠笛
小太鼓 バチは孟宗竹をムチのように削ったもの。楽のリード役。
胴拍子 カネまたはチャン方という
大太鼓 赤の鉢巻、上着と袴、胸当て、五色のタスキの男子の稚児が打ちます。舞いのクライマックスには全身躍動しながら打ちます。

九州国立博物館の「西都大宰府」サイト内の映像アーカイブスに詳しい内容があります



綱分八幡宮放生会御神幸祭奉納獅子舞
(福岡県飯塚市)
 綱分八幡宮の1786(天明6)年の古文書には、天正年間(1580年ごろ)から放生会御神幸祭において現在と同じように行列・流鏑馬・相撲・神楽・獅子舞が行われていたことが記されていますが、現在の獅子舞は、享保年間に大分八幡宮から伝わったといわれています。大分八幡宮が京都から習得した獅子舞がほぼ同時期に綱分八幡宮に伝わり、両八幡宮で行われていた獅子舞が「大分系」・「綱分系」と称して筑豊各地に広まっていったと思われます。また、大分の獅子舞が「陽の舞」、綱分の獅子舞が「陰の舞」であるといい伝えられているそうです。
綱分八幡宮放生会は福岡県指定無形文化財に指定されています。
獅子舞 雄獅子 赤い獅子頭・赤い胴幕 獅子頭はおよそ7kg近くあるそうです
雌獅子 黒い獅子頭・青い胴幕
舞いの
種類
くるい獅子
(前庭 狂い舞い)
神前での舞 
(5分間くらい)
馬場入り
(古馬場入り 新馬場入り)
神輿の先々を祓い清めながらの舞
(それぞれ3分間くらい)
神殿入り 最後に舞う納め獅子
 (3分間くらい)
自作の7穴の篠笛(龍笛をおもわせるような太い竹を使っていました。)
道中に奏でる道楽を含めると14種類の曲譜があります。
小太鼓 竹を細長く削ったバチでたたきます。
大太鼓 数名の稚児がひとつの太鼓をバチでたたきます。
稚児舞 獅子舞の前に稚児舞があります。
ひとつの大太鼓を男女の稚児たちが交代でうちます。
色鮮やかな衣装に家紋入った前掛け、八幡様の紋のはちまきをしめ、華やかに舞います。



金田稲荷神社獅子楽
(福岡県田川郡福智町)

 宝暦三(1753)年に獅子頭の寄進があったことが、神社の古文書に記されているので、それ以降におこなわれていたことは間違いないとされています。安政五(1858)年になると舞楽に堪能だった虚無僧山本平八が、獅子楽に工夫を重ねて獅子舞の振興をはかり今日まで伝承されています。
獅子舞
稚児舞
雄獅子 たてがみは黒色
赤い胴幕
獅子頭は張り子を使用していて、原形は稲荷神社の社殿に鎮座しています。
昔は松や桐材をくりぬいてつくり、米一斗(15kg)近くあったそうです。
雌獅子 たてがみは白色
青い胴幕
舞いの
種類
曲楽

二列に並んだ稚児の前で、ゆっくりと優雅な曲に合わせて眠っている獅子を呼び起こすかのような調子です。 
獅子が舞っているとき、稚児は獅子の後ろで「鶴」「亀」をあらわす二列に並んで、舞いながら交代で大太鼓を打ちます。
舞楽
テンポも速くなり雄壮な舞いに転じます。
稚児は一列になり獅子のまわりを左回りに12種類の所作を交えながら舞います。大太鼓は打ちません。
自作の6穴の篠笛
明笛のように吹口と第一孔の中間に響孔がありました。
小太鼓 細い柳の枝で作ったバチで打ちます。
大太鼓 曲楽では稚児がそれぞれ手に持っているバチで交代で打ちます。
舞楽では使用されません。
稚児
稚児は女子だけです。
振り袖をたすきであげて、背中には大きな熨斗(のし)を背負っています。

 金田の獅子舞は綱分八幡宮から伝わったとされていますが、笛の音や獅子舞と稚児舞が同時に舞うなどかなり違った形態になっています。
 綱分の獅子舞は太鼓打ちを含む稚児舞の後に獅子舞が行われます。曲想や形態から綱分八幡宮と対比すると綱分の「稚児舞」が太鼓打ちを伴う稚児舞と獅子舞が融合した「曲楽」へ、綱分の「くるい獅子」が獅子舞の周りを稚児が1列でまわりながら舞う「舞楽」へと転じていったのでないでしょうか。


 伝承経路をたどっていくと、京都石清水八幡宮の獅子舞に行き着きます。各獅子舞を比較すると、笛の7穴と6穴の差や稚児の獅子舞との関わりなど共通点や相違点があり興味を持つことができました。
伝承された獅子舞は筑豊各地でアレンジされ、以前からあった形態と融合してそれぞれの地域にあった形で残されてています。残念なことに京都の石清水八幡宮の獅子舞は途絶えていますが、遠く離れた筑豊の地でしっかりと残り、受け継がれています。


上伊田西地区獅子楽の詳細は「芸態」の項へ



ご協力いただいた大分の獅子舞のみなさま・綱分八幡宮放生会御神幸祭奉納獅子舞・稚児舞関係の氏子のみなさま、金田稲荷神社獅子楽保存会のみなさまに感謝いたします。
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