上伊田西の獅子楽

福岡県田川市
ホーム

お知らせ2024
祭の日
練習風景
今年の舞の予定

  バックナンバー


沿革

芸態

川渡り神幸祭

神幸祭での奉納

筑豊の獅子舞

田川市の獅子舞

リンク


「上伊田西地区の獅子楽」の沿革


安土桃山時代

 「天正年間(1573〜1592)に豊後の大友氏の兵火が再び当地を襲い、神社仏閣はことごとく焼かれ、風治八幡神社もこの時焼失し、その後の社殿再建奉祝の時,まだ山笠を建立していなかった馬場、猫迫(ねこさこ)地区の氏子が集まり獅子舞を奉納した」と伝えられています。これが上伊田西地区の獅子舞の起源と考えられています。「風治八幡宮の焼失」の事実については記録が見あたりませんが、天正年間は天正8(1580)年に大内氏の香春城への侵攻を阻止するため猪膝での合戦や天正9(1581)年に大友氏による英彦山の焼き討ちなど田川地方は戦乱が続き荒れ果てていました。このころ大友宗麟は、神社仏閣を兵火にかけ焼失させたという記録が北部九州の各地で残っています。田川市史(上)にも、「応永から天正に至る室町期の戦火は田川地方の神社・仏閣をほとんど破却し尽くしている」と記されています。

 また、近隣の飯塚市(旧嘉穂郡庄内町)綱分八幡宮の古文書には、「天正年間に綱分八幡宮の御神幸で、流鏑馬、獅子舞、相撲、神楽が奉納されていた」ことが記されています。周辺地区でも天正年間に獅子舞が行われていたところが見受けられます。獅子舞は神幸祭と結びついていることが多く、永禄5(1562)年から行われている風治八幡神社の神幸祭でも天正年間前後に獅子が奉納されていたことは推測されます。

 昭和54年発行の田川市史−民俗編−に、本獅子舞について「風治八幡神社の神幸祭では古くから猫迫(旧上伊田村)の受け持ちになっているが、山鉾が立てられる以前のものではなかったかと思われるだけに、市域における神事芸能の貴重な残存というべきであろう。」と記述されています。

江戸時代 中期

 獅子舞が始まった頃は、現在の芸態とは違っていたようです。英彦山・位登・弓削田に伝わる獅子舞や彦山川流域に存在した獅子舞(獅子廻)など芸態の異なる舞が田川地方にも残されています。また、当初は楽打ち(稚児舞)はありませんでした。楽打ちの由来は定かではありませんが,天明年間(1781〜1789)の大飢饉のあと、「獅子舞と共に稚児舞を奉納した」との伝承があります。

 この少し前の享保年間、「京都石清水八幡宮につたわる獅子舞を修得し享保9(1724)年に大分(だいぶ)八幡宮放生会に奉納した」という確かな記録があります。飢饉や災害が続いた享保年間に厄払いの獅子舞が大分や綱分(つなわき)の両八幡宮で行われるうちに筑豊一円に広がったと考えられます。

 上伊田西の現在の獅子舞は綱分から伝承された福智町(旧金田町)稲荷神社から受け継がれたと伝えられています。この頃から楽打ち(稚児舞)を伴う現在の獅子舞の芸態になったと思われます。400年前から受け継がれてきた獅子舞が,時代の流れと共にその芸態を変え楽打ちと融合して現在に伝承されています。

明治・大正・昭和・平成時代

 明治17年の福岡県史稿には,風治八幡宮神幸祭の行列順序に「獅子二頭,獅子楽」の記載があります。明治の末には,下伊田・鉄砲町・番田・中伊田から1台ずつの山笠,上伊田からは獅子舞という決まりだったようです。当時は馬場と猫迫(ねこさこ:稲荷町の古称)が一年交替で獅子舞を奉納していました。一時期、合同で奉納していた時期もあるようです。
 
  
(伝)江戸末期〜明治時代の雄の獅子頭

 大正の初期には,馬場・横木地区が猫迫と分離して独自に山笠を出すようになったため,それ以降は猫迫だけが奉納するようになりました。そのため昭和の初めまでは「猫迫の獅子舞」と呼ばれていました。

 太平洋戦争中の中断後,昭和23年に獅子舞は復活し町名変更に伴って「稲荷町の獅子舞」となりました。楽打ち(稚児舞)は9年間の休止の後、復活しました。その後、半世紀近く稲荷町が獅子楽を受け継いできました。しかし、過疎化による後継者不足の問題から稲荷町単独では、存続が難しくなったため、平成13年、稲荷町が所属する上伊田西区へ移管されることになりました。それに伴い呼び名を「稲荷町の獅子舞」から,従来から行われていた楽打ち(稚児舞)を名称に取り入れ「上伊田西地区の獅子楽」として現在に至っています。

 風治八幡宮の川渡り神幸祭では,楽打ち(稚児舞)を含めた獅子舞を奉納し「獅子が舞わねば神輿が動かぬ」とまで言われる奉納行事となっています。

 昭和29年に風治八幡宮川渡り神幸祭が,福岡県無形文化財に指定され全面的に協力し,神社の要請により各種の祭事に奉納しています。毎年7月の最終土曜日に行われる風治八幡宮の夏越祭にも獅子舞を奉納しています。


神幸祭・夏越祭での奉納以外の活動及びできごと
2001年
(平成13)
稲荷町から上伊田西地区への移管が決定
2002年
(平成14)
上伊田西地区獅子楽保存会が発足
第44回九州地区民俗芸能大会に福岡県代表として出場
(佐賀県武雄市)
2003年
(平成15)
筑豊農業祭に出場(筑豊農業林業活性化協議会主催 直方市)
2004年
(平成16)
第19回国民文化祭に参加 
2006年
(平成18年)
ホームページ公開
第1回TAGAWAコールマイン・フェスティバル〜炭坑節まつり〜に参加
(獅子舞のみの参加)
2007年
(平成19年)
第2回TAGAWAコールマイン・フェスティバル〜炭坑節まつり〜に参加
(獅子舞・稚児舞ともに参加)

福岡県青年会議所県大会に「上伊田西の獅子楽」を披露
(田川文化センター)
2008年
(平成20年)
第3回TAGAWAコールマイン・フェスティバル〜炭坑節まつり〜に参加
(獅子舞・稚児舞ともに参加)
2009年
(平成21年)
第4回TAGAWAコールマイン・フェスティバル〜炭坑節まつり〜に参加
(獅子舞・稚児舞ともに参加)
2010年
(平成22年)
第5回TAGAWAコールマイン・フェスティバル〜炭坑節まつり〜に参加
(獅子舞・稚児舞ともに参加)
2011年
(平成23年)
第6回TAGAWAコールマイン・フェスティバル〜炭坑節まつり〜に参加
(獅子舞・稚児舞ともに参加)

TVQ九州放送 「きらり九州めぐり逢い」 第145回に出演
2012年
(平成24年)
第7回TAGAWAコールマイン・フェスティバル〜炭坑節まつり〜に参加
(獅子舞・稚児舞ともに参加)
 2013年
(平成25年)
第8回TAGAWAコールマイン・フェスティバル〜炭坑節まつり〜に参加
獅子舞・稚児舞ともに参加
 2014年
(平成26年)
新しい獅子頭の入魂式
RKB毎日放送 「今日感テレビ」の特集で紹介される。

第9回TAGAWAコールマイン・フェスティバル〜炭坑節まつり〜に参加
(獅子舞・稚児舞ともに参加)

第1回田川地区民俗芸能祭に参加(獅子舞・稚児舞ともに参加)
鎮西小学校にて総合的な学習の時間への協力
  2015年
(平成27年)
第2回田川地区民俗芸能祭に参加(獅子舞・稚児舞ともに参加)
国際会議「J.I.S.R.I. e-ASIA 2015」 レセプションで「曲」を披露
(獅子舞のみ 近畿大学産業理工学部にて)

第10回TAGAWAコールマイン・フェスティバル〜炭坑節まつり〜に参加
(獅子舞・稚児舞ともに参加)

鎮西小学校・伊田小学校にて総合的な学習の時間への協力
2016年
(平成28年)
 
第10回TAGAWAコールマイン・フェスティバル〜炭坑節まつり〜に参加
(獅子舞・稚児舞ともに参加)

鎮西小学校・伊田小学校にて総合的な学習の時間への協力
 2017年
(平成29年)
 
第11回TAGAWAコールマイン・フェスティバル〜炭坑節まつり〜に参加
(獅子舞・稚児舞ともに参加)
 
田川地区民俗芸能祭に参加(獅子舞・稚児舞ともに参加)
鎮西小学校・伊田小学校にて総合的な学習の時間への協力
2018年
(平成30年)
  
第12回TAGAWAコールマイン・フェスティバル〜炭坑節まつり〜に参加
(獅子舞・稚児舞ともに参加)

鎮西小学校・伊田小学校にて総合的な学習の時間への協力
 2019年
(令和元年)
 
第13回TAGAWAコールマイン・フェスティバル〜炭坑節まつり〜での民俗芸能コーナーが中止のため参加なし
鎮西小学校・伊田小学校にて総合的な学習の時間への協力
 2020年
(令和2年)
 
新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、「風治八幡宮川渡り神幸祭」の中止に伴い奉納も中止
鎮西小学校にて総合的な学習の時間への協力
 2021年
(令和3年)
  
 新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、「風治八幡宮川渡り神幸祭」の中止に伴い奉納も中止
鎮西小学校・伊田小学校にて総合的な学習の時間への協力
 2022年
(令和4年)
  
 新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、「風治八幡宮川渡り神幸祭」の中止に伴い奉納も中止
鎮西小学校・伊田小学校にて総合的な学習の時間への協力
 第30回ふくおか県民文化祭のオープニングセレモニーに出演



ここに記載している歴史等は資料及び聞き書きを元にしています。
内容に誤りなどありましたら、ご連絡いただけると幸いです。

上に戻る  上伊田西地区獅子楽保存会